ミニほうきせっとはとっても便利

気がつかないうちになんだか汚れてしまう部屋。なるべくこまめに掃くようにしています。掃除機を持ってきてかけるとなるとなんだかめんどくさく感じてしまい、ついついおざなりになってしまいがちです。なのでミニほうきとミニちりとりがすぐ手の届く所においてあります。お菓子を食べた時に出る食べカスとか、紙をちぎった時に出るゴミくずなど、意外と目に付く物もゴミとなって床に落ちていきます。掃除機だと動かさなくてはいけないテーブルや、本棚の隅っこなどもミニほうきとミニちりとりならささっとはけて便利です。小さいゴミならまぁいいかと気にせず捨てがちですが、積もり積もると結構な量になります。外でも家でも、ポイ捨てはしません。今日もついさっき、雑誌を眺めながらお菓子を食べていたんですが、気がつくとカスがちらほら。なのでミニほうきセットで10秒もあれば綺麗になりました。手の届かない所にあるとついめんどくさくなってあとでいいや、また今度掃除する時までいいかと後回しになってしまって結局どんどん汚くなってしまうので、目に付いたら綺麗にする、が最近のモットーです(たいしたモットーではありませんが)。家が綺麗だと、突然の来客にも対応できてあたふたしなくてすみます。でもたまにはしっかり掃除機でお掃除もしますよ。

紙と電子で二重に貢ぐ

普及しているスマートホンや携帯ゲームは、大人も子供も大好きですね。先日夜に買い物に出たら、子供用カートに乗っている男の子が、携帯ゲームをしていました。あんな小さい子もするのかと驚きました。そんな機械ものでも、絵本が読むことができます。中には音読機能があるものがあったり、絵が動いたりもするそうですよ。まるでテレビですね。しかしその絵本、眠る前の子供にはよくないのだとか。画面が明るすぎるのだそうです。そう言えば大人でも、就寝前の一時間は携帯やパソコンを見ないほうが良く眠れると言いますものね。便利な世の中だけれど、便利さに伴う不便もあるのだなあと思いました。ただ、親の手が離せないときはその手のおもちゃが便利……ではあるんですよね。大人ですら紙の本を読まなくなっているという昨今。子供ばかりに紙の本を読ませるのは難しいでしょう。子供は大人の真似をしたがりますから。本当に難しい問題です。どちらも併用というのが一番いいやり方でしょうか。だってどちらにも良いところがあるんですもの。でも最近聞いたのは、電子版で買っても結局紙の本も買ってしまうというパターンですね。二重に貢いでるの、と言っているのを聞いて、笑ってしまいました。

取り違いから始まった

先日、母が「ごめん!」と部屋に入ってきました。朝の九時過ぎのことです。「今日もう歯磨きしちゃった?」というので「したけど、なんで?」と返すと「昨日、間違えてあんたの歯磨きで歯、磨いちゃったんだよ。言うの忘れてた!」と。歯ブラシの共有は親子でも絶対アウトですよね。でも私は、歯磨きセットは自室に持ち帰ります。結局、母は私の物ではなく、別の家族の物と間違えたことが発覚しました。まったく、どうして自分の物を間違えるのか。少々呆れたのですが、昔、私も似たような経験をしたことを思いだしました。靴です。病院の入口で靴を脱いだ際に、別の方の同じようなものと間違えたんです。後に病院に申告して取り替えてもらったんですが、あれは恥ずかしかったですね。それと、買ったばかりの本に書店でつけてくれるカバーをつけて置いていたら、友達の同じくカバー付きの本と間違えて持ち帰ってしまったこともあります。あのときはあせりました。だって友達が、私の読んでいた本を持ち帰ったということですもの。ああ、人に見られても平気なものでよかったと……ほら、人によって苦手なジャンルもありますから。ちなみにお互いライトノベルで、これがきっかけでその本を貸し借りするようになりました。

仕事の合間に雑誌を読んで

今日は朝の三時半に目が覚めてしまったので、頭がぼーっとしています。昼寝したかったけれど、そんな時間はとることができず。会社が休みなのに、ひたすら持ち帰った仕事をしています。どうして持ち帰ってまで仕事を、と思ったりもしますが、どうせやらなければいけないこと。好きな音楽を聴きながらパソコンに向かっていました。そしてちょうど飽きてきた頃、ネットで頼んだ雑誌が届いて一気にご機嫌になりました。ちょっとくらい休憩してもいいよね、とおやつを片手に雑誌をペラペラ。わたしは雑誌を読むときは、基本的にまずは「見て」その後「読む」という流れです。最初に「こんなことが書いてあるんだ」という全体像を把握して、気になる記事をじっくり読むということです。隅から隅まで、昔は読んでたんですけどね、今はなかなかその時間をとるのが難しいんですよ、雑誌は次々出ますから。新聞と同じ読み方ですね。それにしても、ちょっと休憩のつもりが、雑誌が面白すぎて長くなってしまいました。また仕事にとりかからなければ。「人生忙しいときは長くは続かないから、やれるときはやりなさい」かつてかかりつけのお医者さんに言われました。その先生は、毎日夜遅くまで予約の患者さんを見てくれる評判の方です。

ドックイヤー禁止!

私がドックイヤーという言葉を聞いたのは、たしかCMでのことだったと思います。通販のカタログを「ドッグイヤーしといて」と言う感じだったでしょうか。内容はうろ覚えですが、ページの端をちょこんと三角に折る、その形を見て「ああこれがドックイヤー=犬の耳か」と納得したのは、とてもよく覚えています。あの折った形。確かに似ていますよね。犬の垂れ耳に。でも、私は使いません。本はきれいにとっておきたいので、ページを、端とはいえ、折ってしまうのが嫌なんです。ページに跡がつきそうだからという似たような理由で、クリップタイプのしおりも使いません。そんなにこだわっても仕方がないことはわかっているんですけどね。だって本はいずれ日の光で色があせて、紙が変色します。完全に密閉して埃も光も遮って保管するなら別でしょうが、それでは本としての意味はありません。好きなときに読めるからこそ、手元に置きたいわけですから。それでもできるだけきれいにとっておきたいって、本好きならみんな思いますよね。ということでドックイヤーは嫌なんです。なぜこうも主張しているかというと、母に貸した本が、よれよれになって返ってきたからです。まったく、なにをどうしたらこうなるのやら。

トイレットペーパーで読書?

今日自宅のトイレで、とても驚くことがありました。母は最近香りのするトイレットペーパーにはまっています。大抵はピンクや緑といった色つきのものなのですが、今日のものはなんと、花のイラストが印刷されていたんです。もちろん香りはフローラルな花の香り。我が家のトイレにそんなものがあるのは初めてで「え、これほんとにトイレットペーパー?」と叫んでしまいました。でも考えてみれば、こんな感じで何かが印刷されたペーパーって昔からありますよね。漫画のイラストや、小説が書かれているものもあったような気がします。ただ、ここで疑問がひとつ。イラストはなにが印刷されていても問題はありませんが、小説だった場合って、絶対読み切れませんよね。だってトイレットペーパーって何十メートルもありますもの。それとも短いものが繰り返して印刷されているんでしょうか。それだったら読み切れる可能性はあるかもしれませんね。流すと溶けてしまう紙に小説を印字するなんて勿体ない気はしますが……読んだ人の、頭の中に作品は残るからいいのかな。それにしても、その商品を企画した人の発想力は素晴らしいと思います。物事は見方次第なのだなあと、改めて実感するきっかけになりました。

グッズよりも本が好き

友達が、くじでフィギュアを当てたようです。おめでとう!と思った直後、そういえばどうして最近は本屋でくじをするんだろうと思いました。本を買った特典で、というわけでもないですし、普通にレジでお金を払って引くものですから、本屋である必要はないと思うんですよね。基本が漫画の作品のものだから、ということでしょうか。でも時々、そのくじで余った商品が安く売られていたりして、複雑な気持ちになったりもするのですが。そんなくじに、以前はまったことがあります。一回五百円だったでしょうか。それだけあったら別の本が一冊買える、と気付いたときに、買うのをやめました。私は基本的に、漫画等のグッズには興味がないのです。そのときは特別でしたね。グッズって見て、使って楽しめはしますが、やはり文章がのっている本の方に魅力を感じます。グッズを買わない代わりに、本は必ず買います。映画が気に入れば。パンフレットはもちろん原作本やムック本を。漫画と小説があれば両方を。それはドラマやアニメにも同じことが言えます。でも原作が気に入ったからドラマや映画を見るとは限りません。自分の中で先行しているイメージがありますから、それを壊されたらと思うと怖いのです。

好きな本を手元における幸せ

母が私に誕生日プレゼントを買ってくれるといいました。ちょうど欲しい本があったのでそれを頼んだのですが、友達に話すと「そんなに高い本なの?」と。「多分千円以下かなあ」と答えると、彼女はたいそう驚いた様子で「そんなんでいいの?」……どういうことでしょう。私は彼女が驚いたことに驚きました。だって欲しいものを貰ったら嬉しいですよね。私には今それが本だっただけのことです。たしかに高価とは言えない本です。自分でだって買えるものです。でも、一番かはわからないけれど、私はそれが欲しいんです。図書館で借りて読んだその本を、できるなら手元に置きたいんです。……本なんてね、どんどん次が出るんです。読みたい本は増える一方、だから一度読んだ本を買うって、なかなか勇気がいるんですよ。「買わなくてもまた図書館に行けば読めるから」とか思っちゃいますもん。でも確かにそうなんですが、逆に言えば、図書館の本は借りに行かなくちゃいけないんです。今この瞬間に読みたいって思ってもできない。だから本当にいいと思った本は欲しいんです。それを母は、買ってくれるんです。これほど嬉しいことがあるでしょうか!ああ、欲しい本をためらいなく買える彼女にはわからないだろうなあ、手に入れられる、幸せ。

食べられないときに気力チャージ

ふと、人間は充電式の電池に似ているなあと思いました。疲れて元気が足りなくなると、食事や睡眠や趣味などで活力を取り戻して、また活動しますよね。でもそれはだんだん頻度が高くなったり時間がかかるようになって、体力は衰えていく。そして最後は……。ね、似ていると思いませんか。だからどうということはありません。電池を見ていたらふと思っただけですから。私の母は食べることが大好きです。「あんたがお腹にいて陣痛があるときもご飯食べてね、病院行って先生に驚かれたんだよ。普通は食べないし、食べても吐いちゃうんですけどねって」どうやら母にとっては武勇伝らしいです。何度も聞かされました。たいして父はちょっとでも疲れると食欲がなくなるタイプ。ちなみに私は父似なので、よく食べられなくなります。夏バテとかほぼ毎年ですしね。そんなときは仕方がないので、食べられるものだけ食べて、活力を得るのは主に本からになります。本を読んでも体力は回復しませんが、気力で何とか持ち越すのです。夏バテの場合は暑いお昼と疲れ切った夜は食べられないけど、涼しい朝ならまだ大丈夫。だから朝までの気力チャージです。ポイントは難しい本を選ばないこと。単純に楽しめる、4コマ漫画などを選んでいます。

ぞくりとする一文に出会いました

ちょうど読んでいる小説の中にぞくりとする文章がありました。怖いのではありません。こんな素晴らしいことを書けるなんてという、感動の『ぞくり』です。これがあるから文章を読むことはやめられないんです。こんな文章に出会えるのは多くはありません。大抵は「ああ面白かった」で終わる話が多いし、それで私は十分満足しています。でも時々、本当にごくまれに、今日みたいにぞくぞくする一文に出会えるんです。そして思います。私もこんな文章を書けるようになりたい、と。趣味で書きものをしています。それは身内だけに見せているのですが、もう何年も続いています。途中体調を崩してもう書くことはできないのではないかと思ったりもしましたが、元気になればやっぱり書きたいのです。素人です。友達に見せても褒め言葉なんてそうそう貰えない程度です。でも私にとって書くこと、文章とふれあうことは大事なんだなあと実感しました。以来、やめたいともやめようとも思わず、日々書き続けています。だから小説はどんなものでも、私にとっては教科書で、作家さんは先生なんです。とりあえず、今日見つけた文章はノートに写しておこうと思います。使うためではなく、またぞくぞくしたいから。その一文で、とても幸せな気持ちになった一日でした。

ケータイ小説の大きな魅力はずばり、「時間も場所も問わず読みたいだけ読める事」だと思います。私は現に、電車の中や炊事の後、寝る前などで読み進めています。特に旦那さんが構ってくれない時なんかは・・・。