そこにあったのに、何も残っていない不思議

贔屓にしていた古書店の店主が病に倒れました。私はその前を毎日のように通り、元気な姿をもう一度見られる事を願っていました。閉め切ってあるガラス戸に張られた紙の「しばらく休業します」の文字がとても寂しく、透かして見える5畳ぐらいの店内が暗く淀んでいました。
何日か経って、前を通ると営業しています。私は嬉しくなって入店しましたが、レジに座っているのは見慣れた顔ではありませんでした。そこに腰かけているのは二十歳すぎのぐらいの男性なのです。私が訝しげにしていると、彼は爽やかな笑みを浮かべ「実はじいちゃんの病が重くって、僕が代わりに店番をしているのです」とのこと。彼は孫でした。
私は以前と変わらず通いました。珍しい本が入るので重宝していたのです。それに何より、容態が心配でした。不用意に「どうなの?」と口に出来ず、帰りを静かに待っていたのです。いつか戻って来て、愛用の煙草を片手に、にこにことした笑顔を浮かべながらお客さんからこんな差し入れをしてもらった、という自慢話を聞ける日を待ち望んでいたのです。
それからしばらくして店主は戻ってきましたが、身体は痩せ細り、青褪めた顔でした。私は、快気祝いを持って行きましたが、とても喜べず「お大事に」と渡すだけでした。その後、店は閉店してしまいました。今は空きスペースになっているその前を通るたびに、ガランとしたその空間に何かを見つけようとして目を凝らします。しかし、今まで何一つ、見つけられたものはありません。

気になっている彼を今日も見る

私の行きつけの書店には「眼鏡のキミ」がいます。これは私が勝手に命名したのですが、彼(推定35歳、独身、職業はおそらく技術職)はスーツ姿で毎日のように九時過ぎにやってきては、その日に購入した本を併設されているカフェスペースで読みながら、カフェラテを啜るのです。
とても姿勢が良く、1人なのにとても楽しそうで、話した事はないのですが、いつも彼には勇気をもらっています。たまにちょっとしたデザートを注文する事もあり、そういう時はきちんと手を拭いてから読む体勢に入るのも私のお気に入りです。店員さんへの態度もすこぶる良いので「できた人」といった感じです。
私はいつも彼が見やすい位置に腰を掛け、雑誌を読んだり、ぼーっとしたり、仕事をしたりして過ごします。夜のほんの一時間程度のひと時です。
なんの物語も起きません。特別な事は何一つないのに、そんな毎日が、かけがえのないものになっています。おそらく、これから先も私達は接点を持つことは無いでしょう。(あの方は私の事を認識されていないと思いますし)でも、そういうちょっとした、本当に些細な事に幸せを感じられる事をありがたくも思います。通いの店があるというのはなんとも良いものです。

小説に感化されやすい同盟を作りたい

「そういえば、こんな人がいてね」という話をしようとして、ふと気付き、青褪めることがあります。そんな人、というのが小説の登場人物だという事を失念していたのです。印象が強すぎて、生身の人間と混在してしまうのです。このような体験は異常なのではないか、とずっと思ってきました。言葉とか風景もそうです。強く心に刻みすぎると、現実か創作の世界のモノなのか分からなくなる時があるのです。恐ろしい事ではないか、これはもしかして、マズイのではないかと悩みました。あまりに深みにはまると抜け出す事ができなくなるのでは、と思うと、本の世界もあながち安全なのではないのかも、と危惧していたのです。ところがその懸念は簡単に晴れました。映画好きの友人にこの悩みを打ち明けてみたところ、彼も感化されやすいらしく、観た映画の主人公に二日くらい浸かってしまうのだそうです。ある時の彼は西部劇のポリス、ある時は凶悪な殺人犯、またある時はヒーローなのだそうです。口調も変わり、服装も変わり、「周囲から訝しがられるよ、あはは」と笑っていて、私は自分だけではないのだ、と心の底から安堵しました。
むしろ、私のほうが知人や友人に置き換えているだけ、幾分マシだとも思いました。自分が変わってしまう訳ではないのですから。感化、そう、感化なのです。嵌るととことん、その人物を追及してしまうのです。物語では語られない、ディープな部分まで。架空の人物の前後の物語を頭の中で作ってしまい、いつしか、その人物は私の知人、友人になっているのです。いつか、同じように感化されやすい人々を集めた同盟を作りたいと思っています。
きっと、無秩序で楽しい会話ができるに違いないのです。

過去の作家の息遣い

本を読むと「こんな言葉があったのか」という事に何度も驚かされます。特に漢字は膨大で、全部知る事なんて到底不可能なのではないだろうか、という気がしてきます。
先月読んだ本に「破落戸」という言葉が出てきて、横にルビがふってありました。これは「ならずもの」と読むのだそうです。この言葉は「ならずもの」の他にも「ごろつき」とも読めるのだそうですが、難解ですね。文豪の作品を読むとルビがふっていなければ読めない漢字が多々あります。ルビがふってあっても意味の分からないものもありますし、江戸時代の作家にもなると、その文章はチンプンカンプンです。曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」は岩波書店から出版されているのを読んだのですが、とても骨が折れました。すごく面白いのですが。明治時代、大正時代の作家でも読むのがとても大変なのだから、江戸時代にもなると風俗も土地も違うので読み解くのは尋常ではありません。しかし、文章のテンポと描写の凄みや迫力が素晴らしいのです。これはなかなか現代の作家にはだせないものなのではないでしょうか。テンポと言えば、夏目漱石の「草枕」の冒頭は絶技に近く、何度も口ずさみたくなります。考えれば、当時や昭和の初期はパソコンなるものはなく、全て手書きをし、分からないことは辞書や文献を漁るか直接知識人に聞くことしか手段がないのですから、その膨大な知識量や活力には頭の下がる思いです。
今では簡単に調べられる事が、当時はどれほど大変だった事か。考えれば考えるほど、名作の凄さに、古い時代の作家の息遣いに尊敬の念を抱いてやみません。

サイン会の幸福

作家さんのサイン会やイベントに参加したことのある本好きさんは多いのではないでしょうか。私もよく行きます。特に好きなのが、対談で、小さいカフェを貸し切って開催されたりします。ワンドリンク制で参加費がとても安いんです。安いのに、濃厚な時間が過ごせるのです。作家さんは文章を書くことを生業としています。一つの物語を書ききる事はとても大変なことです。物語は一本の線です。起伏はありますが、その主張はぶれることがないんです。だからこそ、語る言葉にも信念がこもっています。作品を書く上で題材にするものをこれでもかというまで調べてきているから、知識量も豊富で、ユーモアがあります。
それに、サイン会やイベントは、なかなか会えない作家さんとの距離がとても近くなります。本でしか関われたかった作家さんが眼の前で喋っているのです。たまらない興奮です。たいてい、こういうイベントが開催されるのは新刊を出した時なので、新しい本に作家さん自らサインをして貰えるのです。しかも、眼の前でです。これは、もう、たまらないですね。本に自分の名前も作家さんのその手で書いてくれるんです。一言二言、話も出来たりもします。この時に何て言うか考えると緊張しますが、幸せな時間です。本人を眼の前にすると、どうしてもあがってしまうのですが。「ファンです」「小説好きです」「これからも書いてください」言いたい言葉はもっともっと深いのに、結局これしか言えなかったりします。だけど、それに対して「ありがとう」と言ってもらえるのです。作家さんによっては握手もしてくれます。そうして手に入れたサイン本は大切な本を置く棚に飾っておくのです。辛い時、開いてサインのところを見れば、頑張ろうと思えます。そしてまた、作家さんのイベントやサイン会をチェックし、参加するのです。何度も行けば覚えてもらえます。本がぐっと近くなるのです。
思い出すだけで、たまらない思い出です。

カバーをかけますか?という素敵な言葉

「カバーをかけますか?」書店で本を買った時に店員さんからかけられるこの言葉、私はとても好きです。店員さんが自らの手で私の選んだ本にカバーをかけてくれるのです。今は当たり前の光景かもしれません。けれど、これはサービスです。わざわざ一冊ずつプロのやり方で包んでくれるのです。私は店員さんがカバーをしてくれる時の手つきや眼元をよく観察します。
言いすぎかもしれませんが、まるで我が子を眼の前で慈しんで産湯に入れてくれるような、そんな感覚になります。私の大切な本をなるべく傷つかないように包装してくれるのです。私はその瞬間、本屋の店員さんに心から感謝を述べます。「ありがとう」口では軽く、心の中ではありったけの気持ちを込めて。
カバーはたいてい店のロゴが入っています。後で、ああ、これはあのお店で買ったのだ。と、思い出したりもします。本を我が子のように可愛がる本好きはきっと、本を手に入れるまでの一連の流れを覚えているに違いありません。たまに、何かのキャンペーンでいつもとは違う種類のカバーがあったりします。「どちらにしますか?」もちろん、選ぶのはキャンペーン中のカバーです。キャンペーン中のカバーが数種類ある場合、カバーの種類の数に合わせて買う本を増やしたりしてしまいます。本末転倒ですが、これはこれでとても楽しいです。
一生懸命働いたお金を出して買った愛しい本です。なるべく大切にしてあげたいですし、大切に読みたいです。「カバーをかけますか?」やはりこの言葉は素晴らしい言葉です。

通販カタログも紙媒体で

通信販売の良いところは、何と言っても好きな時に自分の部屋に居ながらでもゆっくりと商品を選べることだと思うんです。現代人は生活スタイルが多様化しているので、「ゆっくりできる時間」というのも本当に人それぞれになっています。
「アフター5」という言葉がありますが、すでに死語となってしまっているのではないかと思うくらいです。通信販売は、今や紙媒のカタログ通販からWEBへとその媒体を移動しつつあります。24時間営業のWEBショップは、従来のカタログよりもさらに画像が多く、インターネット上での注文方法はさらに簡単に便利になっていて、利用者の購買欲をそそる仕組みになっていますよね。
私も、通販が大好きなんです。利用する機会も多くて、WEBショップも多く使いますが、商品を眺めるのはほどんどがカタログです。いまどき、電話帳のように分厚いカタログなんてあるの?と思われる人もいらっしゃるかもしれません。それが、けっこう存在しているんですよ。本屋さんへ行っても、レジの近くに無料で置いてあるときがあります。確かに、WEBショップよりは画像も少ないので、大事なものを買うときにはためらうことも多いでしょう。でも、パソコン画面と違って目が痛くならないし、ページを順番通りではなくパラパラと何気なくめくっている時間も、良い気分転換になります。
単なる商品紹介の写真なのに、物語性のあるものもあり、思わず購入してしまうそうになることも…。そんなとき、紙のカタログであれば、ワンクリックで購入手続きをしないで済みますから、私のような人間には安全だなとも思うのです。

時代の変化で消えゆくもの

昔、妖怪が出てくる小説を読みました。文化が発展し時代が変わっていく中で、妖怪たちは住む場所をなくし、闇の中へと入っていくという話でした。そして最近、その本とは関係のない作品で出てきた別の妖怪も、同じようなことを言っていました。曰く、今は自分達が住んでいい時代ではないということです。色々なものが発展し、便利になっていく世の中。でもそうして消えて行くものもあるということは、忘れがちです。新しいものに目が向いて、古いものには目が向かないからです。でも、長い時代愛用されているものにこそ、本当は価値があるのかもしれないとも思います。詰まっている歴史と思い出は、お金には変えられませんもの。我が家で一番古いものは……と考えて、ああ、自分達か、と思いました。住んでいる家族の年齢以上のものはないことに気付いたとも言います。家族、大事にしなくてはいけませんね。どこかにしまってあるアルバムを発掘して、眺めてみようかという気持ちになりました。でもきっと押入れの奥とかにあって、すっかり色が変わっていたりするんでしょうね。色とか形は覚えていますが、もう何年も見ていません。写真も今はパソコン管理なのでしょうが……本当に、時代は変わるものです。

巡る情けと巡る時代

情けは人の為ならずという言葉があります。昔これを「人の為にならないから、情けをかけてはいけない」という風に間違えて覚える人が多いから、気を付けるようにと言われました。本来は、情けはまわりまわって自分にまわってくるという意味ですよね。でも言葉は時代とともに変化をします。例えば「ら抜き言葉」や、インターネットで使うような言葉。若い子が使う短縮した言葉などは、もう魔法のようです。今の時代の会話は、過去の時代のどのあたりの人までがわかるのでしょうか。過去の作品を読むと難解さに悩むこともありますから、その反対だって然りでしょう。私より年上の知り合いの方は、娘や息子が使う言葉は、もう意味がわからないと言っていました。お母さん知らないの?とからかわれるようです。世代が違うと文化も違うんだなあと実感しました。私もいつかは、最近の若い子は……なんていうようになるのでしょうか。そして逆に年下の子からは、これだからおばさんは……なんて言われたりして。でも温故知新という言葉もあります。古いものの中にも、大切なものあるもの。それは若い世代の子にも、伝えていかないといけませんよね。若い子の方には、ぜひ豊かな感受性で受け止めて欲しいものです。

ミニほうきせっとはとっても便利

気がつかないうちになんだか汚れてしまう部屋。なるべくこまめに掃くようにしています。掃除機を持ってきてかけるとなるとなんだかめんどくさく感じてしまい、ついついおざなりになってしまいがちです。なのでミニほうきとミニちりとりがすぐ手の届く所においてあります。お菓子を食べた時に出る食べカスとか、紙をちぎった時に出るゴミくずなど、意外と目に付く物もゴミとなって床に落ちていきます。掃除機だと動かさなくてはいけないテーブルや、本棚の隅っこなどもミニほうきとミニちりとりならささっとはけて便利です。小さいゴミならまぁいいかと気にせず捨てがちですが、積もり積もると結構な量になります。外でも家でも、ポイ捨てはしません。今日もついさっき、雑誌を眺めながらお菓子を食べていたんですが、気がつくとカスがちらほら。なのでミニほうきセットで10秒もあれば綺麗になりました。手の届かない所にあるとついめんどくさくなってあとでいいや、また今度掃除する時までいいかと後回しになってしまって結局どんどん汚くなってしまうので、目に付いたら綺麗にする、が最近のモットーです(たいしたモットーではありませんが)。家が綺麗だと、突然の来客にも対応できてあたふたしなくてすみます。でもたまにはしっかり掃除機でお掃除もしますよ。

ケータイ小説の大きな魅力はずばり、「時間も場所も問わず読みたいだけ読める事」だと思います。私は現に、電車の中や炊事の後、寝る前などで読み進めています。特に旦那さんが構ってくれない時なんかは・・・。